こんにちはです。駅ナカ駅マエ北海道のとかいかんです。

札幌の街なかを流れる豊平川に、秋になると本物のサケがのぼってきます。大都市のど真ん中を流れる川で、なぜサケに会えるのでしょうか。その答えを探していくと一度は姿を消すほど追い込まれた長い歴史に行き当たります。

サケが戻った話を聞くと、稚魚をたくさん放したからだと考えたくなります。けれども豊平川のサケがたどった道のりは、放流という一言ではとても語りきれません。

この記事では公式の資料と公開データだけをもとに、豊平川のサケが絶滅寸前から野生回帰へと歩んだ歴史をまとめました。放流から自然産卵を重んじる管理へ移ってきた流れが、読み終えるころにはすっきり分かるはずです。

  • 豊平川のサケが減った原因と歴史
  • カムバックサーモン運動と放流の始まり
  • 放流から野生回帰へ転換した理由
  • いま豊平川のサケが抱える問題点

結論から言うと、豊平川のサケの回復は稚魚を放しただけの成功物語ではありません。下水道の整備で水がよみがえり河川環境の手入れが進んだ土台があってこそ、放したサケも帰れる川になりました。いまは放流に頼りすぎず野生の魚の自然産卵を重んじる管理へと移っています。

豊平川のサケ放流の歴史の全体像

豊平川のサケ放流の歴史の全体像の要点

まずは豊平川のサケがどんな歴史をたどったのか、その全体像から押さえていきましょう。細かい年号に入る前に大きな流れをつかんでおくと、このあとの話がぐっと理解しやすくなります。

絶滅寸前から回復へ至った流れ

豊平川のサケの歴史は大きく三つの時期に分けられます。最初は川にサケがあふれていた時代でした。次に都市の発展とともに姿を消した時期がやってきます。そして人の手で呼び戻し、いまは野生の魚を増やす段階に入っています。

明治のころまで豊平川には毎年おびただしい数のサケがのぼっていました。ところが札幌の街が大きくなるにつれて数は減り、昭和のなかばには遡上の記録そのものが途絶えます。いったんは絶滅に近い状態まで追い込まれたわけです。

流れが変わったのは1970年代の後半でした。市民が稚魚を放す運動を始め、その後の水質改善とも重なってサケは少しずつ帰ってきます。一度は消えたサケが大都市の川によみがえった例として、豊平川はいまや全国でも知られる存在になりました。

放流だけでは語れない回復の理由

サケが戻ったと聞くと、稚魚をたくさん放したからだと受け止めたくなります。たしかに放流は回復を引っぱった大きな力でした。ただし放流だけでサケが帰る川になったわけではありません。

放したサケが海からもどっても、水が汚れていては卵を産めません。川をさかのぼる途中に高い堰があればそこで旅は終わってしまいます。放流という入り口と迎える川の環境がそろってはじめて、サケは世代をつなげます。

国土交通省の資料でも、豊平川の回復は稚魚放流と下水道整備による水質改善が重なって進んだと記録されています(出典:国土交通省『豊平川水系の多自然川づくり』)。放流と環境づくりは、どちらが欠けても成り立たない両輪でした。

豊平川のサケが戻った背景には、放流と水質改善という二つの土台がありました。どちらか片方だけでは、サケが世代をつなぐ川にはなりません。

サケが豊平川から消えた理由

サケが豊平川から消えた理由の要点

ここからは時代をさかのぼって、なぜ豊平川からサケがいなくなったのかを見ていきます。減少の理由が分かると、そのあとの回復がどれほど大変だったのかも伝わるはずです。

明治期まで続いた豊かな遡上

もともと豊平川は、サケが数えきれないほどのぼる川でした。明治のころまでは毎年秋になると産卵のために大量のサケが帰り、人々の暮らしを支える恵みにもなっていました。北海道の川としてはごくあたり前の光景だったのです。

当時のサケは食料としても欠かせない存在でした。昭和の初めには人の手でふ化させて放す事業も行われ、川の恵みを守ろうとする動きがすでにあったと記録されています。豊平川とサケの付き合いは、あなたが思っているよりずっと長い歴史を持ちます。

都市化と水質悪化が招いた減少

豊かな遡上に影を落としたのが、札幌の急速な発展でした。人口が増えるにつれて生活排水や工場の排水が川へ流れ込み、水はだんだん濁っていきます。サケは水のきれいな川にしか産卵しないため汚れた流れは産卵の場をうばいました。

水質の悪化だけが原因ではありません。治水や利水のために川には堰などの工作物がつくられ、海から帰ったサケの通り道をふさいでしまいます。のぼれない川は、サケにとって産卵できない川と同じでした。

街が便利になる一方で、川は生きものにとってきびしい場所へと変わりました。都市の発展とサケの減少は、同じコインの裏表だったのかもしれません。

遡上の記録が途絶えた空白期

減少はやがて、サケの姿そのものが見えなくなるところまで進みます。公式の記録では親サケをつかまえた記録が昭和28年を最後にいったん途絶えました。そこから二十年あまり、豊平川でサケが確認されない空白の時代が続きます。

サケがいなくなった川は、めずらしくありません。けれども一度消えた生きものを呼び戻すのは、簡単なことではないのです。この空白の時代があったからこそ後の回復がより大きな意味を持ちました。

サケは生まれた川のにおいを覚えて帰る魚です。いったん川から群れが消えると、自然に戻ってくる個体はほとんどいなくなります。だからこそ人の手による放流が必要になりました。

カムバックサーモン運動の始まり

カムバックサーモン運動の始まりの要点

消えてしまったサケを呼び戻そうと立ち上がったのが、札幌の市民でした。ここでは有名なカムバックサーモン運動と、それを支えたしくみを見ていきます。

市民運動として広がった稚魚放流

豊平川にサケを呼び戻す動きは、1970年代の後半に始まりました。カムバックサーモン運動と呼ばれるこの取り組みでは、ふ化させた稚魚を川へ大量に放す活動が市民の手で広がります。子どもから大人まで多くの人が参加し札幌の街ぐるみの運動へと育ちました。

放流が実を結び数年後には、海から成長したサケが豊平川へ帰ってきます。消えたはずのサケが大都市の川にもどった知らせは、多くの人をおどろかせました。人の手でサケをよみがえらせたという実感がこの運動をさらに後押しします。

拠点となった豊平川さけ科学館

運動が広がるなかで、活動の拠点として1984年に開館したのが豊平川さけ科学館です。真駒内公園のなかにあり、サケの一生やふ化のようすを間近に学べる施設になっています。入館は無料でだれでも気軽に立ち寄れる場所です。

さけ科学館はただの展示施設ではありません。毎年およそ二十万匹の稚魚を放し、豊平川にのぼるサケの数や産卵のようすを地道に調べ続けています。回復の歴史を記録し伝える役目も、この施設が担ってきました。

さけ科学館の展示や見どころについては、豊平川さけ科学館は無料で楽しめる見どころ案内でくわしくまとめています。親子で出かける前の予習にも役立つはずです。

魚道と下水道整備が支えた回復

放流とならんで回復を支えたのが、川そのものの手入れでした。札幌市では下水道の整備が進み、川へ流れ込む汚れた水がしだいに減っていきます。濁っていた豊平川の水はサケが産卵できる状態まで取りもどされました。

水がきれいになっても、高い堰が残っていてはサケはのぼれません。そこで1990年代には遡上をはばんでいた堰に魚道がつくられます。魚道とは魚が段差をのぼるための水の通り道で、これによってサケは上流の産卵場所まで旅を続けられるようになりました。

下水道の整備と魚道づくりは、どちらも都市のインフラ事業です。人の暮らしを支える工事が、結果としてサケの帰る川をつくりました。都市開発と自然の回復が同じ方向を向いためずらしい例といえます。

カムバックサーモン運動は、放流という種まきだけの話ではありません。下水道の整備で水をきれいにし魚道で通り道をひらいたことが、同じ時期に進みました。この受け皿づくりがあったからこそサケは帰る川を取りもどせたのです。

放流から野生回帰への転換

放流から野生回帰への転換の要点

サケが帰る川を取りもどした豊平川は、いま次の段階へ進んでいます。放流に頼る増やし方から、野生の魚が自然に産卵する流れを大切にする方向への転換です。この記事のいちばんの山場になります。

札幌ワイルドサーモンプロジェクト

転換の中心にあるのが、2014年に始まった札幌ワイルドサーモンプロジェクトです。これは川の産卵環境を手入れし、野生のサケを増やそうとする保全の取り組みになります。拠点はこれまでと同じく豊平川さけ科学館が担っています。

野生のサケとは、人の手を借りずに川で生まれ育った魚のことです。ふ化場で生まれて放されたサケと違い、親が川で産んだ卵から自然にかえった個体を指します。このプロジェクトは放流に頼らなくても回る川を目ざしています。

放流数を減らした方針転換

プロジェクトのなかでも大きな転機が、2016年の方針転換でした。札幌市はこの年から放流する稚魚の数を減らし川の環境に合う野生魚の割合を高める方針へ切りかえます。長く続いた放流中心の増やし方を、あえて見直した判断でした。

放流を減らすと短い目で見れば、サケの数が減る心配もあります。それでも野生の力で増える川のほうが長く続くという考えが、この転換の土台にありました。この流れは札幌市も次の段階として公式に紹介しています(出典:札幌市南区『豊平川さけ科学館とサケの放流』)。

項目 カムバックサーモン運動 札幌ワイルドサーモンプロジェクト
始まった時期 1970年代後半(1978年ごろ) 2014年
主な目的 消えたサケを川へ呼び戻す 野生のサケを増やし守る
中心となる手法 稚魚の大量放流 産卵環境の手入れと放流の見直し
放流の位置づけ 回復を引っぱる主役 2016年以降は数を減らす方向
拠点施設 豊平川さけ科学館 豊平川さけ科学館

この二つの段階は、札幌市の公式資料をもとにまとめたものです。数値や方針は見直されることがあるため、最新の情報は公式の発表でおたしかめください。

野生魚が約7割を占める今

方針転換の成果は、数字にもあらわれています。近年の豊平川には毎年およそ千尾から二千尾のサケがのぼり、その多くが川で自然に産卵しています。調査では遡上するサケのおよそ7割が野生の魚だと報告されました。

大都市のど真ん中を流れる川で野生のサケがこれほどの割合を占めるのは、とてもめずらしいことです。放流に頼りきらずに回りはじめた川は、都市と自然が両立できる証しともいえます。

年ごとの遡上数の移り変わりは、豊平川のサケは何匹いるのか遡上数の推移でくわしく確認できます。数字で見ると、回復の歩みがよりはっきりします。

◆とかいかんのワンポイント

野生魚の割合という数字は、調査の年や方法によって変わります。公式の資料でもおよそ7割とはば広く示される場合が多いです。ぴったりの数ではなく、おおよその目安として受け取ると安心できます。正確な最新値を知りたいときは、札幌市やさけ科学館の発表を直接のぞいてみてください。

豊平川のサケが抱える問題点

ここまで回復の歩みを見てきましたが、豊平川のサケに課題がないわけではありません。いまも残る問題点を知ることは、これからの川を考えるうえで欠かせません。

産卵環境の悪化という課題

いちばん大きな課題が、産卵する場所の環境が崩れやすいことです。川の流れは年々すがたを変え砂や小石がたまって、産卵に向かない川底へと変わる場所も出てきます。サケは一定の大きさの石がしきつめられた川底でないとうまく卵を産めません。

そこで川底をほぐして、産卵しやすい状態へ整える手入れも行われています。ただし自然の川を相手にする作業のため、思うように進まない年もあるのが実情です。産卵環境を保ち続けることは回復のあとも終わらない宿題なのです。

放流への依存が生むリスク

放流は心づよい手段ですが、頼りすぎると別のリスクが生まれます。ふ化場で育てたサケばかりになると川で自力で生き抜く力がおとろえるおそれがあると、長く指摘されてきました。野生の魚が持つたくましさを保つには自然に生まれる個体を一定の数だけ残す必要があります。

2016年に放流数を減らしたのも、こうした心配に向き合うためでした。短い目の数を追うのではなく、長く自分の力で続く川を選んだわけです。放流は目的ではなく野生の川を取りもどすための手段だという見方がこの判断の根っこにあります。

観察するときに守りたいこと

豊平川のサケは、だれでも橋の上などから観察できます。ただし産卵をひかえたサケはとてもつかれていて、少しの刺激にも敏感です。川へ入ったり石を動かしたりすると産卵のさまたげになってしまいます。

そっと遠くからながめるだけでも、サケのたくましい姿は十分に伝わってきます。せっかく取りもどした産卵の場を守るためにも、観察のマナーは大切にしたいところです。

観察できる橋や見ごろの時期については、豊平川でサケが見える場所とおすすめの観察時期で地図つきに案内しています。出かける前にのぞいておくと迷いません。

産卵中のサケや卵は、法律や条例で守られている場合があります。川に入って捕まえたり卵を取ったりする行為は思わぬトラブルのもとになります。観察は岸や橋の上からにとどめ、そっと見守るようにしてください。

豊平川のサケを知る基礎情報

最後に、豊平川のサケをもっと身近に感じるための基礎情報をまとめます。見られる時期やさけ科学館の使い方を知っておくと、歴史の重みを実感しやすくなります。

サケが見られる時期と場所

豊平川でサケの遡上が見やすいのは、秋のおわりごろです。例年9月の下旬から11月ごろにかけて産卵のためにのぼるサケのすがたを、橋の上などから観察できます。水のすんだ浅い場所では川底で産卵するようすが見える日もあります。

大都市でサケに会えるふしぎについては、豊平川のサケはなぜ都会で見られるのか遡上を解説でまとめています。歴史とあわせて読むと、回復の意味がよりはっきりします。

さけ科学館で学べること

豊平川さけ科学館は、サケの歴史と生態をまとめて学べる場所です。館内ではサケの卵から成魚までの一生や、ふ化のようすを間近に見られます。入館が無料なので散歩のついでに気軽に立ち寄れる点もうれしいところです。

春には稚魚の放流、秋にはサーモンウォッチングといった体験もよおしも開かれています。放流から野生回帰へと進んだ歴史を現場で感じられる、貴重な場所です。所在地は札幌市南区の真駒内公園のなかにあります。

豊平川のサケ放流に関するよくある質問(FAQ)

Q1. 豊平川のサケはいつ放流されますか?

A. 豊平川さけ科学館を中心に、例年春にふ化した稚魚が放流されています。体長6センチほどまで育った稚魚が放流水路から放され3年から4年後の秋に、親ザケとなって豊平川へ帰ると見込まれています。時期や場所は毎年変わる場合があるため参加したいときは札幌市やさけ科学館の案内でおたしかめください。

Q2. 豊平川のサケはなぜ一度いなくなったのですか?

A. 主な原因は、札幌の都市化にともなう水質の悪化と川の工作物でした。生活排水などで水が汚れ産卵できる環境がうばわれていきます。さらに堰などが海から帰るサケの通り道をふさぎ、昭和28年を最後に遡上の記録がいったん途絶えました。

Q3. 豊平川のサケの問題点は何ですか?

A. いまの大きな課題は、産卵に向いた川底の環境を保ち続けることです。川の流れが変わると産卵場所が減るため川底を整える手入れが続けられています。あわせて放流に頼りすぎず、野生の魚が自力で増える川をどう守るかも大切なテーマになっています。

Q4. 放流をやめて野生のサケだけにしたのですか?

A. 放流を完全にやめたわけではありません。2016年からは放流する稚魚の数を減らし、川で自然に生まれる野生の魚の割合を高める方針へと切りかわりました。放流と自然産卵のバランスを取りながら、長く続く川を目ざす段階にあります。

Q5. 豊平川のサケはどこで見られますか?

A. 例年9月下旬から11月ごろにかけて、豊平川にかかる橋の上などから遡上や産卵のようすを観察できます。水のすんだ浅い場所では川底で産卵する姿が見える日もあります。見学スポットや時期の目安は、当サイトの観察ガイドの記事もあわせて参考にしてください。

豊平川のサケ放流の歴史のまとめ

豊平川のサケがたどった道のりを、最後にふり返ります。

  • 明治期まで豊平川には大量のサケがのぼっていた
  • 都市化による水質悪化と工作物でサケは一度姿を消した
  • 1970年代後半のカムバックサーモン運動で放流が始まった
  • 下水道整備と魚道づくりが回復の土台を支えた
  • 2014年からは野生のサケを増やす段階へ進んだ
  • 2016年に放流数を減らし自然産卵を重んじる方針へ転換した

豊平川の回復は、稚魚を放しただけで起きた奇跡ではありません。水をきれいにし通り道をひらく土台づくりと放流から自然産卵へ重心を移す判断が重なって、いまの豊かな川が生まれました。都市のインフラ整備と自然の再生が同じ方向を向いたとき大都市の川にもサケは帰ってきます。

秋の豊平川でサケに出会えたら、その一尾の後ろにある長い歴史を思い出してみてください。あなたの目の前を泳ぐサケは、絶滅寸前から野生回帰へと歩んだ物語の主人公です。

◆とかいかんのワンポイント

歴史を知ってから見るサケは、不思議と見え方が変わります。かつて一度消えた川に人の手と時間をかけて命が帰ってきました。そう思いながらながめると、ただの秋の風景が少し特別なものに感じられるはずです。正確な放流日や遡上の最新情報は、お出かけ前に公式の発表で確認しておくと安心できます。